◆今週の◆
賠償資金の消費者転嫁を支持する読売の変節
5月11日に、東京電力(以下:東電)が小口契約の電気料金の平均10%値上げを経済産業省(以下:経産省)に申請したことを受けて、翌12日の読売新聞は「東電値上げ申請 丁寧な説明で理解を求めよ」と題する社説を掲載した。
同社説はのっけから「東京電力が安定供給を果たすには、一定の値上げはやむを得まい」と、料金値上げ支持から論じはじめる。曰く、「値上げは……東電の再生を目指す総合特別事業計画の前提」、「経費を削っても火力発電所の追加燃料費などで年7000億円の収支不足に陥る」、「損害賠償や廃炉のコストも膨らむ」云々。だから「値上げで増収を図り、赤字を穴埋めするのが狙い」なのだと。
そして「東電が経営合理化を進め、値上げの幅と期間をできるだけ圧縮するよう努めるのは当然」として以下のように指摘する。「柏崎刈羽原発を1基再稼動すると、東電の収支は約800億円改善する。値上げを3年で終えるには、7基ある原子炉を来年度から順次、再稼動する必要がある」と。要するに「デフレで収入の増えない家計にとって痛手となる」電気料金の値上げ幅と期間を短縮するために、東電は保有する7基の原発をすべて再稼動させるべきだと言うのだ。
こうして同社説は「値上げで利用者が負担するお金は、液化天然ガス(LNG)など火力燃料の輸入に充てられ、国外流出する。震災後、日本の貿易収支は過去最大の赤字に転落した。経済力の低下は食い止めたい。/火力への依存を減らすことが急務だ。政府は原発再稼動への取り組みを加速させるべきである」と結論するのである。
「値上げ幅と期間の圧縮」をタテに、いや格好の口実にと言うべきか、原発事故の処理やエネルギー政策とは無縁な「東電の収支」という視点からのみ原発再稼動を声高に主張するこの論調は、それこそ「国民感情」を逆なでする暴論である。それは国内の全原発停止(5月5日)に危機感を募らせ、前日5月4日には「核燃料サイクル 軽視できない政策変更コスト」と題した社説で、今後の展望が全く開けない核燃サイクルを「実用段階にある」とウソをついてまでその堅持を主張し、5日の「全原発停止 これでは夏の電力が不足する」と題した社説では、関西電力側の《言い値》だけを根拠にした電力不足の脅しを羅列し、再稼動を強力に推進しない民主党政権への憤懣を声高に唱えた、これまた暴論というべき原発擁護論の続編でもある。
ではなぜ暴論なのか。それは《東電に損害賠償資金を稼がせる》こと、言い換えればこれだけ深刻な事故を引き起こした当事者である東電の刑事・民事両面にわたる責任を事実上不問に付して、だからまた東電の株主や債権者(大手銀行)たちに何の損害も引き受けさせることなしに、税金と消費者の負担で原発事故による損害補償の資金を得ることを、まったく無批判に支持しているからである。
たしかにこの《東電に損害賠償資金を稼がせる》手法は、菅政権当時の2011年8月に成立した「原子力損害賠償支援機構」法にもとづいたものであり、原発の再稼動を含む東電の「総合特別事業計画」もこれにもとづいて提出されている。だがこの法律の原案は、原発事故の処理をめぐって、政府・経産省が東電の100%減資や銀行の債権放棄を検討しはじめたことに驚いたメインバンクの三井住友銀行が、東電救済を主眼にして作ったということは、昨年5月の「AERA」の報道で広く知られている事実でもある。
つまりこの社説は、先の日本航空の破綻処理では「自己責任」をタテに100%減資ばかりか企業年金の減額まで支持し、最近も小沢元民主党代表の政治資金規正法違反容疑をめぐって、無罪判決の後も「説明責任を果たせ」と批判を続けてきた論調とは打って変わって、東電についてだけは、こうした一切の責任を追及されることもなく損害賠償の負担を消費者に転嫁し、あるいは事故原因の究明さえ棚上げにして原発の再稼動が許されると主張しているのと同じである。これは究極のご都合主義であり、そして暴論と言わずして何と言えば良いのか!!
だいたい「再稼動ありき」の背景には、電力会社の保有資産が巨額であるほど利益が増える「総括原価方式」なる電力料金決定システムがある。このシステムは、電力各社をこぞって原発建設にまい進させる国策だったのであり、だからまたこうして得られた「潤沢な電力マネー」に群がる勢力は、それこそ読売が行財政改革の名目で繰り返し非難してきた「既得権益に固執する守旧派」と言うべきであろう。
かくして、新自由主義的な行財政改革の旗振り役として守旧派批判の論陣を張ってきた読売新聞は、こと原発政策に関しては「守旧派に組する」のだ。これは論理的破綻というよりも、宗旨変えあるいは変節と言うのだ。
(2012/05/14・佐々木希一)
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